第332回 TOEIC公開テスト 感想
こんにちは、英語子育てパパです。
昨日は久しぶりにTOEIC公開テスト受けてきましたので、今日はその感想を。
受験された方々お疲れさまでした!
今回僕が受けたのは第332回(午前)で、1問目が「通路に立つ男性」のフォームです。
●総合難易度:普通(orやや易)
という感じでした。
ではパート別に振り返っていきます!
●Part1:やや難
最近TOEICは難化傾向にあって、Part1から難度の高い語彙が出るというのは聞いていましたが、思ったほどではなかったというのが率直な感想です。
aisle「通路」、twinkling light「きらめく光」(だったかな?)、cut up「裁断する」あたりが発音含めて少し難しかったでしょうか。
potted plant「鉢植え」も出たましたが、これは対策問題集でも登場するので(aisleも)事前に公式問題集をしっかりやっていれば大丈夫だと思います。
女性が1ダースほどの水のボトルを手渡そうとしている写真で、明らかに人物描写がくると思ったのですが、実際には女性の奥にある「ジャケットがハンガーにかけられている」が正解で、変則問題でした。
ときどきこういうのがあるんですよね。
1問目の通路に立つ男性も、本棚に手を伸ばしている動作が描写されると思ったら実際には「通路(aisle)に立っている」が正解で、そういう意味では少し変則的だったかと。
みんな気にしなかったかもしれませんが、2問目の「女性が(皿から)容器に食べ物を入れている」問題で、「容器」をboxで表現していたところに僕はちょっとだけ違和感を覚えました。(見た目的にはどんぶりみたいな感じだったような。)
まあでもlunch boxとか言うくらいなので、そういうものなんでしょう笑
定番表現としては、モノの状態を表すhave been p.p.(hanged)(「ジャケットがかけられている」)や、
モノが行為を受けている最中を表すbe being p.p.(cut up)(「木が裁断されている」)がいつも通りという感じで登場していました。
「人々がサイクリングしている」みたいなシンプルでド直球の易しい問題もありましたが、語彙の多少の難しさと変則問題の点で「やや難」としました。
●Part2:やや易
ストレート問題の割合が変化球よりもかなり高かった印象です。
後半に進むにつれてやや難易度が上がって行くのはいつもの傾向かと思いますが、それほど悩む必要はなかったです。
一つ気になったのは、選択疑問の問題が多くて出題パターンにやや偏りがあったかな?というところ。
●Part3・4普通
Part3では3人会話が2題登場しましたが、いずれも設問に固有名詞(人物名)があったので、先読みの段階で構えておくことが容易でした。
※設問に固有名詞がある場合は3人会話である可能性が非常に高いというのを知っておくことは、先読みのポイントの1つですね。
全体としては「会話の場所」「話者の職業」「話題」「抱えている問題点」「次の行動」などのオーソドックスな問題が多かった印象で、比較的解きやすかったです。
発言意図の問題はやや難しかったかもしれません。
最近よく言われているイギリス訛りの女性が複数回登場。
彼女はスピードも速く、苦戦するポイントですね。
以前からよくあるscheduled(シェジューウみたいな発音)も相変わらず登場しました。
グラフィック問題では、計6問のうち、(覚えている限り)2問はひっかけでした。
選択肢の対になる文言が複数回登場し、最後まで流れをしっかり聞き取らないと答えにたどり着けないタイプのもので、これは対策がものを言うと思います。
グラフィックの内容的には「フライトの行先」「商品の値段」「部屋の配置」などよく見るものが多かったです。
●Part5:やや易
たしか1問目が助動詞mustの後の動詞の原形を選ぶ問題で、超基礎でした。
他にもSVを読み取って主語(名詞)を選ぶ問題や、despiteとalthoughのように前置詞と接続詞を区別させる問題など、基本的でオーソドックスな問題が多かったです。
be+過去分詞+to不定詞(例:be required to)のように語法的に(またはコロケーション的に)解かせる問題も複数ありました。
構文としては、the比較級, the比較級や分詞構文などの高校英語の構文も登場。
ちょっとだけ「おっ」と思ったのは、前置詞が並ぶ選択肢のうち、一つだけgo(動詞)が紛れ込んでいるなど、これまでになかったタイプの選択肢の作り方が見られたこと。
選択肢の作り方も最近は注目ポイントとよく言われていますね。
●Part6:普通
取り立てて特徴のある問題はなかった印象です。
さっさと解いたので内容ほぼ覚えていません笑
ただ、文挿入はやはり消去法が有効だと感じました。
●Part7:やや易
まず、articleの問題がトリプルの3題目に1つ登場しただけだったのが意外でした。
articleに悩まされる方も多いと思うので、それだけでもかなりハードルは下がった印象でした。
トリプルの3題目は、5問中2問が難問だったと個人的には感じました。
全体的にやや難易度の高い語彙が設問中に登場することが複数見受けられました。
「ココナッツの価格が物価高の影響を受けて高騰する」といった時代を反映したテーマの出題もありました。
●Part5~7の語彙について:
referrals「紹介・参照・委託」やmandatory「義務的な・必須の」あたりが初級者の方には難しかったかもしれませんね。
appreciateの意味問題が登場しました。これも定番というか。
value、admire、understandで悩んだ人が多いのではないでしょうか。
文脈を読めばadmireは明らかにおかしかったのですが、慣れない方には難問だったかもしれません。
答えはvalue(のはず)ですね。
compliment「賛辞・誉め言葉」も登場しましたが、complaint「苦情」と勘違いすると大変なことになる問題でした。
見た目の雰囲気が似た単語は要注意ですね。
●総評:
回やフォームによって差はあるのでしょうが、僕が今回受験したものについては極端に難化したとは感じませんでした。
一部の語彙の難しさや訛りの聞き取りづらさなどの点ではややとっつきにくくなっている印象はありますが、問題内容自体は標準的で、正確に読めていればほとんどの問題で迷う必要はないと感じました。
迷ったとしても、消去法が効果的で対処できたと思います。
難易度高目の語彙も、分からなくても文脈的に推測することが可能といったレベルだったのではないでしょうか。
少なくとも僕はそんなふうな感想です。
●時間配分の記録:
Part5と6合わせて15分ほどで通過。
Part7に60分残せたのは良かったです。
Part7はシングルで1題あたり平均3分、ダブル5分、トリプル6分の配分で全解答し、2分ほど余らせられました。
僕は基本的に書かれてある文字は全て読みたくなるタイプなので、その割にはおおむね理想的な解答ペースでいけたかなと思います。
肝心のスコアは・・・
結果を待ちたいと思います。
また受けるチャンスがあれば受けたいと思います!
「ネット教育者」への嘆き。
こんにちは、英語子育てパパです。
YouTube動画やSNSなどの情報を英語子育ての参考にすることは僕もあります。
ただ、そうした媒体で英語指導をしている人たちの言うことを鵜吞みにしてはいけないなと感じることが多々あります。
英語学習(教育)は需要が高い反面、ある程度英語を身に付けた人にとっては英語はそれほど難易度の高いことがらではないと感じられるため、「留学をしていた人」や「英会話講師経験者」、そして「難関資格取得者」など自分の英語力に自信がある人が教育系ユーチューバーなどとなって参入することは少なくありません。
そして、英語学習者の大半は素人であり、それゆえに英語上級者を思わせる経歴や資格を持っている人は信望を得やすく、結果的に再生数の増加に繋がりやすいという特徴もあります。
けど、僕が見ていて感じるのは、そうした「ネット英語教育者」的な立ち位置にいる人たちの知識や学習方法の指導の脆弱さです。
知識が誤っている、
根拠が薄い、
ソースが不明、
「ネイティブがそう言っているから正しい」と思い込み、さも説得力ありげに力説している・・・
といった問題が散見されます。
留学していたのだから、英語を教えていたのだから、資格所得のために勉強したのだから・・・
おそらくはそうした経験や自信から、彼らは自分の英語知識や学習法含めた教育観は間違っているはずがない、と心の中で信じてやまないのだろうなと感じます。
だからこそああやって自信満々に動画を撮影できるのだろうし、その自信の表れが視聴者(学習者)に信頼感をもたらし、再生数を伸ばすことにも成功するのでしょう。
けれど、全てではないにしても、ある誤りが露見したときに、そうと気づかずに「とても勉強になる!」「知らなかったことを知れてよかった、ありがとう!」といった好意的なコメントが嵐のように大量に書かれていることに、僕は(極端なことを言えば)それが日本人の英語力向上の妨げにすらなっているのではないかと、危機感を禁じえません。
たとえネイティブを引き合いに英語を語る場面でも、「ネイティブが言うことなのだから英語のことは何でも正しい」とは言えません。
僕が見ているだけでも、文法や語法、英語の歴史のことなど、明らかに誤った説明や違和感を覚えるコメントを英語ネイティブがおこなっていることを見かけることがあります。
僕たちが日本語の全てを知らないように、英語ネイティブも英語の全てを知っているわけではないのです。
資格もいらず、ネットで誰もが「個人教育者」となれる手軽さを享受できる一方、「教えるなら正しいことを根拠と責任を持って正確に」教えて欲しいなと思います。
ここでYouTubeとX(旧Twitter)で僕が実際に見つけた例を挙げてみます。
フォニックスを扱う動画や投稿の中で、office / object / onionなどの頭文字oの発音について、「どれも同じ発音」であるとしてひとくくりにしているケースがありました。
oの発音の仕方をまず実演して(または文字で説明して)、それぞれの単語の発音を全て同じoの発音で練習してみよう、というやり方をしていました。
ところが実際のところ、これらのoの発音は「すべて同じ」ではありません。
全く違うものもあれば、アメリカとイギリスで発音が異なるものもあります。
ですから、officeとonionの頭文字oを同じように発音するのは誤りであり、間違った発音を練習させてしまうことになるわけです。
おそらく自分が同じ音で発音している(と思い込んでいる)からひとくくりにしてしまったのでしょうが、こんなことは辞書を引けばすぐに「同じではない」ことに気付き、回避できるはずの問題です。
発音を指導する上では、「英語」の前にせめてアメリカとイギリスの二つの発音の存在に触れ、大別することくらいの配慮がそもそも必要だという認識が欠けていることも残念です。
あまりにも怠慢、無責任ではないかと感じます。
このような(おそらくは)過信からくるミスや、本当は正しい知識を知らないのになんとなく体験や体感的にこうだろうとする中途半端な推測による解説動画や投稿は思いのほかよく見かけます。
音声、文法、歴史など含めて学術的に英語を学んだ人間であればまずありえないような、突っ込みどころの多い「ネット教育者」は多いのです。
僕はなにも、「英語を学問した人間しか教えてはいけない」とか「大学教授のような専門家しか指導してはいけない」と言いたいのではありません。
「フォニックスで発音力は向上しない」という内容の記事を少し前に書きましたが、だから「ただちにフォニックスはやめるべき」と主張したいのでもありません。
誰がネット動画をアップしようと構わないと思っていますし、それができない自分に比べればと思うとむしろ尊敬の気持ちを持っています。
自分なりに勉強し、研鑽を重ねた上で内容を考えておられることも理解できます。
膨大な時間をかけて視聴者を楽しませる努力を怠らないことも、本当に尊敬しています。
ただ、それをするならば、学習者の利益とそれを支える責任を、現在自覚している以上に強く持たなければいけないという意識を求めたいのです。
そのために、小さなことでも確認と精査を怠らないで欲しいのです。
子どもたちの英語力のためにも。
エラそうなことを書いてしまってとても恐縮ですが、自分自身への戒めも込めて。
「はにゃ~い?」がかわいすぎる娘。
こんにちは、英語子育てパパです。
いつもどうしても息子の話ばかりになってしまうので、今日は娘のことを。
1歳半を過ぎた娘は、少しずつ言える言葉も増えてきました。
はっきりと発音できる言葉もあれば、まだまだあいまいなものもたくさん。
英語はほとんど発音できませんが、日々練習のためにいろんな単語やフレーズを言わせるようにしているところです。
最近取り組んでいるのが、何かをしたいとか物が欲しいときに
Can I ~?
と言わせること。
たとえばお茶を欲しがっているときに
Can I have tea?
と言わせてみる、といった感じ。
僕がまずお手本として
Can I
と発音してみて、それを真似するように促すのですが、
その発音が
「はにゃ~い」
ってなります笑
ただただかわいい。
何かをして欲しがっているとき、
たとえばお菓子の袋をあけて欲しいときは、
Can you open this?
と言わせてみるのですが、
さきほどと同じく僕がまずお手本として
Can you
と言ってそこだけ真似させると
「はにゅう~」
ってなります。
か、かわいすぎる。
そんなやりとりを見ている息子は、
「〇〇(娘)ちゃん、Can I / you~だよ!」
と美しい発音で教えるのを手伝ってくれます。

とても微笑ましく、娘もスピーキング力を磨いているところです。
※スイカは本記事の内容と関係ありません笑
4歳児向けポケカオリジナルルール。
こんにちは、英語子育てパパです。
先日からわが家のポケモンカード(ポケカ)の話をしていますが、今日は4歳の息子にやらせているオリジナルルールをご紹介します。
ルールと言っても恐ろしくシンプルで、用意するのはポケモンのカードだけ。
サポートやエネルギーは使いません。
お互いに1枚ずつポケモンをバトル場に出して、カード右上に書かれているHPがより大きい方の勝ち、という超絶シンプルルールです笑
①まず対戦で使用するポケモンカードを任意の枚数分選んでデッキとします。
時間があるときは20枚、時間がないときは5枚だけ、みたいに適当に決めます。
②デッキをシャフルして、裏返して右上のデッキ置き場に置きます。
なお、その下をトラッシュとします。いずれ公式ルールで対戦できるようになることを想定して、それと同じ配置にしました。
準備はそれだけ。
③「せーの」でお互いデッキの一番上のカードを表に向けて中央のバトル場に出します。
これも公式ルールと同じ位置です。
④HPを比べて、より大きい数字のポケモンが勝ちとします。
効果や技によるポイントなどは一切無視して、HPしか見ません(笑)
HPを攻撃力に見立てて戦わせるだけの、トランプの「戦争」的な感じです。
⑤勝ったポケモンは自分の場の手前の位置(公式ではベンチの位置)に並べていきます。負けたポケモンは裏にしてトラッシュに重ねていきます。
並べるポケモンの数が多くて並べきれなくなりそうなときは、公式ルールのサイドのように少しずらして重ねていきます。
勝利したポケモンは左右どちらから並べてもOK。
負けたポケモンを裏にするのは、勝ったポケモンと混ざってわからなくなってしまわないようにするためです。(子どもは想像以上に雑なので笑)
※互いのポケモンのHPが同じだった場合は、両者とも勝利として扱います。
⑥デッキの全ポケモンの対戦が終わったら、手前に並べた勝利ポケモンの数を数え、より多い方がゲームの勝者となります。

戦略性もない驚くほど単純なルールですが、これでも4歳の息子はおおはしゃぎで楽しみますし、こちらも数字の英語読みを教えたり、勝った負けたが分かりやすいため簡単な英語でのコミュニケーションがやりやすくなります。
HPは二桁のポケモンもいれば三桁のものもいます。
この数字の概念を教えるのにもとても役立ちます。
公式とはまったく違ったルールなので、いつか公式ルールに則ってやろうとするときにその違いに戸惑わせてしまう可能性は大いにあるのですが、今はそれよりも目の前の分かりやすさと、そこから来る学び、そして楽しさを優先させてあげたいと思います。

ちなみに、写真のプレイマットは手芸が趣味の妻がこのオリジナルルールに合わせてフェルトとミシンを使って作ってくれました。
公式によるとポケカの対象年齢は9歳からとなっていますが、ポケモンそのものに興味を持ち始めるのは3歳~5歳くらいの子どもが多いようです。
それくらいの子どもなら簡単なカードゲームくらいは十分に楽しめるので、開発元にはぜひ幼児向けの簡単ルールのポケカを開発していただきたいです。
できれば国内販売向けの英語版と共に。
わが家のポケカデビュー。
こんにちは、英語子育てパパです。
先日ポケモンカード(通称ポケカ)を息子とやり始めたと書きましたが、今日はそのことなどについて。
息子にはもともと、乗り物や食べ物、動物、魚、恐竜、文字、数字などのフラッシュカードや知育系のカードを使って、一緒に遊びながらいろいろなことを学ばせてきました。
主には言葉の発達(特に英語)のためにと思って始めたことでしたが、その裏では「(カードやボードなどの)ゲームが好きになって欲しい」という思いもありました。
実は僕も妻もカードゲームやボードゲームが大好きで、ゆくゆくはそうしたゲームで家族みんなで遊んで週末を過ごすような、そんな楽しい家族の姿を夢見ているからです。
先日の記事でも触れたように、カードゲームやボードゲームには、
コミュニケーション力が育つ、
言葉や計算力が身に付く、
家族で共通の趣味が持てて、会話が生まれる、
などのメリットがあります。
家族で楽しみながらそんなメリットまで享受できるなんて素晴らしいですよね。
だから我が家には、いつかみんなで遊べるように、たくさんのゲームが備蓄されています(笑)
トレーディングカードゲームとしては、遊戯王やマジックザギャザリング、そしてポケモンカードなどを将来楽しめるようになりたいな、と思っていました。
でも、遊戯王もマジックザギャザリングも、家に大量にカードだけはあるのですが、これらのゲームは4歳児がやるには難しいため、一切触れることはありませんでした。
息子がポケモンカードに興味を持つのも、きっともっと先のことだろうなと勝手に思っていました。
ところが4歳になって、急にポケモンに興味を持つようになったのです。
3歳の後半頃から「アンパンマン」、「おかあさんといっしょ」、「いないいないばあっ!」といったこれまで親しんできた幼児番組は卒業して、「おしり探偵」とか「デイナの恐竜図鑑」など少し対象年齢の上がった番組をよく見るようになったのです。
そして最近は戦隊ものやゴジラといった怪獣ものにも興味があるようなのですが、特にポケモンへの興味を強く示すようになりました。
彼がどうやってポケモンやポケカの存在を知るに至ったのかはよく分かりません(多分幼稚園のお友達からかな?と思います)が、とにかくいきなりポケモン欲が出てきたようなので、試しに買ってみようと思い、お盆休みの間にポケカを買いに行きました。
ショップに行って1つ500円の新品デッキと、1枚30円の中古ストレージから5枚ほど好きなカードを選ばせました。
僕と妻も好きなデッキと30円の中古カード数枚ずつをそれぞれ選んだのがわが家のポケカデビューとなりました。
(ポケカは僕も守備範囲外で一枚も持っていませんでした。でも僕も妻も昔ゲームボーイのポケモンで遊んだ世代なのでストレージを漁るのは楽しかったです笑)
ルールがまったく分からなかったので、ネットで調べたりしながらとりあえず妻と一通りやってみましたが、これは4歳の息子にできる代物ではないと打ちのめされました(笑)そりゃそうですよね。
でも息子のポケカ欲を失わせるわけにはいかないので、4歳児でもできそうなオリジナルルールを勝手に作って遊ばせることにしました。
そしてそのルールを体現するための専用のプレイマットを、手芸が得意な妻に手作りしてもらって、毎晩寝る前に遊んでいます。
さて、上記の話は英語子育ての話というわけではないと思われるかもしれませんが、これまで英語育児をやってきて学んだのは、「何かを通じて英語を学ぶ」ことの大切さです。
英語だけを教えようとするのではなく、日常の中で、たとえば
「階段をのぼりながら数字をカウントする」とか、
「お風呂で身体を洗いながら部位の名称を覚えていく」とか、
「カルタを楽しみながら国旗を覚えていく」など、
特に小さい子どもは「何か楽しいこと」と関連付けることで急激に言語を発達させていくことができます。
だから、子どもが何かに興味を持ったとき、それはそれとして尊重しつつ、合わせ技で英語も(数字や計算なども)覚えさせるように意識しています。
毎晩ポケカをやりながら、息子は特に数字を英語の読み方と共に学ぶことができているように思います。
もう少し大きくなって文字も読めるようになったら、英語版ポケカをやらせてみるのもいいかもしれません。
こちらがハマりすぎて散財しないよう注意もしつつ。。笑
「ポケモンカードしよう」って英語でなんて言う?
こんにちは、英語子育てパパです。
息子がポケモンに興味を持ってきました。
それで最近ポケモンカード(通称ポケカ)を買って一緒に遊んでいます。
と言っても公式ルールで遊ぶには文字や数字を読んだり、計算したりしないといけないため4歳の息子にはまだ難しいです。
そこで4歳児でも遊べる簡易的なルールを独自に作って一緒に遊んでいるのですが、これにドはまりした息子は毎日「ポケモンしたい」と言ってきます。
ということで、「ポケモンカードしよう!」は英語でどう言えばいいのでしょうか?
ずばり
Let's play Pokemon cards!
です。
「カードで遊ぶ」を英語ではplay cardsとcardに複数形のsをつけて表現するので、それを忘れないことがポイントです。
カードゲームやボードゲームには、
コミュニケーション力が育つ、
言葉や計算力が身に付く、
家族で共通の趣味が持てて、会話が生まれる、
などのメリットがあるとよく言われます。
ポケカもその例に漏れず、楽しく言葉や数字を学べるものだと思います。
まだまだ始めたばかりですが、今後も楽しみです。
未来の学校英語教育への不安。学校英語と世界の英語力ランキングから。②
前記事の続き
・・・
こんにちは、英語子育てパパです。
さて、英語習得が学校教育や教材の力でどうにかなるものではないかもしれないとは言え、知識や訓練機会の提供などの面では学校教育が重要な役割を担うことも事実です。
その学校教育に、子どもの英語力伸長に一縷の望みを託すほかないというご家庭も多いでしょう。
ではその学校はどのような英語教育を目指すべきなのでしょうか。
学校での英語教育は冒頭で述べたように確かに変化しています。
「英語に慣れ親しむ」「4技能を高める」「アクティブラーニングで実用的な英語力を」
とうたい、そのいずれもはたから見れば正しい方向を向いているように聞こえます。
しかしその実、その実態は学習者の英語力を本当に高めることにつながる代物であるとは到底思えません。
最近の学校教育現場では、スピーキング力を上げようという方向性からむやみやたらと「話す活動」に力を入れた授業や実践がされがちです。
「英語は話すことで身に付く」「話す機会を与えてこなかったことが過去の失敗だ」
という考えのもと、
「文法は気にしなくていいからまずはどんどん積極的に話そう」
「単語を並べるだけでいいからとにかく相手に伝える気持ちで恥ずかしがらずに話そう」
などと指導をしている場合も少ないくないでしょう。
しかしこれは、「英語を話そうとする姿勢や積極性」を促すことはあっても、英語力自体を上げることには繋がりません。
まず、「文法は気にしなくていい」という発想の裏には「ネイティブだって気にしていない」という考えがあると思いますが、
「文法をすでに体得しているネイティブが気にしない」のと「文法を分かっていない学習者が気にしない」のでは意味がまったく違います。
ネイティブは確かに文法を気にしませんが、彼らは無意識に正しい文法を使いこなせるほど十分に体得しています。だから「気にしない」のではなく「気にする必要がない」のです。
ところが文法をよく知らない学習者が文法を気にしなければ、「でたらめな単語のただの羅列」が無限に生まれるだけです。
そもそも文法学習の根底は、5文型に代表されるように「単語をどう並べるか」を学ぶことにあります。
単語の並べ方こそが「語順の言語」である英語を支える土台であり、これを無視して正しい英語など後天的に身に付くはずがないのです。
数学の授業で方程式を解かせるとき、「数式の解き方のルールは分からなくても良いからとにかく思い切って積極的に計算しまくろう」などと教える指導者がいるでしょうか?
「カッコ( )の中を先に計算する」、とか「xを求めてからyに代入する」といった解き方のルールや手順を教えてから練習させるはずです。
何度も繰り返し解いているうちにいずれ正しい計算方法を自分で導き出すなんてことは至難の業ですし、何より効率が悪すぎます。
英語学習もそれと同じです。
特に後天的に学習して身に付ける場合、「英語のしくみを知って、それに則って単語を並べる」練習をすることが大事です。
それなのに、上記のような乱暴極まりない方針によって、中には文法の参考書を生徒にそもそも与えていない中学や高校まで平気であります。
これでは日本の英語力ランキングが下がるのも当然です。
かつての文法・訳読中心の学校英語のやり方は、そこの偏りが過ぎたことが失敗の原因でしょう。
しかしやっていること自体は間違っておらず、あとは学んだ文法や訳読のスキルをリスニングやスピーキングに応用するという試みが足りなかったために失敗したとみなされているだけなのです。
かつて福沢諭吉は、自身の英語力向上のために辞書を片手にあたりかまわず、子どもにすら英語で話しかけていたそうです。
渡戸稲造は英語の詩の音読を、
野口英世は1冊の教科書を屋外で風呂焚きをしている間も部屋から漏れる明かりを頼りにただひたすら音読し続けたことで、
つまり3者とも、学習の上に発話する訓練を重ねたことで優れた英語力を身に付けたと言われています。
そんな昔から、英語習得の基本方法は「学んだ知識を生かせるよう繰り返し声に出して練習する」というシンプルなものであることが証明されているのです。
ただそれをやればいいだけなのに、本質的なことをごっそり取り除いて見当違いのことをやっている、それが今の日本の学校英語教育です。
少なくとも僕の目にはそう映ります。
もちろん、すべての学校がそうというわけではありませんし、優れた指導者はしっかりと分かったうえで指導に当たっておられることでしょうが、文科省の方針が的外れであることは言えるでしょう。
これから小学校や中学校で英語の学習を始めるお子さんをお持ちのママさんパパさんは、(少なくとも今の)学校英語教育に過度な期待を寄せることは避けた方がいいでしょう。
それよりも、何度も繰り返し書いているように、家庭内でたくさん英語の音を聞かせる、絵本や幼児向けの物語(音声付きのもの)などを書店で買ってきて毎日一緒に読みながら聞くなど、英語体験を可能な限り創出する努力を続けることをやってみてください。